エピソード
第8話 大河内正敏と理化学研究所(その3)
~ 経営者大河内を救った「理研ヴィタミン」 ~
新しい制度として導入した研究室には、大河内所長が研究員の中から優れた研究実績があり、研究室運営を託せるにふさわしい逸材を主任研究員として委嘱した。研究項目(研究テーマ)、研究推進方針、研究遂行に必要な研究機器・資材、研究員採用の人事権などの研究室運営のすべての裁量を主任研究員に委ねた。研究スタッフの陣容が整った研究室からは、次々と研究成果が創出され
ていった。
理研設立時に理研化学部(池田菊苗部長)の研究員として在籍していた鈴木梅太郎博士は、大河内が研究所の組織を物理学部(長岡半太郎部長)・化学部の2 部制から研究室制度に改革後は、鈴木(梅太郎)研究室を立上げ、スムーズな移行が完了した研究室の一つであった。
研究成果のトップバッターは、鈴木梅太郎研究室の研究生高橋克己が、その存在は認められていたが、抽出が困難であったビタミン A を、鱈の肝油を原料として抽出・分離精製に成功したのであった。鈴木梅太郎は、東京帝国大学時代に米糠からビタミン B1(オリザニン)の抽出に成功、専用実施権を三共製薬(現在の第一三共)に与え、三共は商品化に成功、三共と太いパイプを構築して
いた。鈴木梅太郎は室員のビタミン A の抽出成功という朗報をただちに大河内に報告し、実用化、製品化を三共にやらせたいと願い出るが、大河内からの返事は「研究室の運営は全て主任研究員である鈴木さんに任せましたが、出てきた研究成果は、所長である私の裁量で実施します」とし、鈴木は返す言葉もなく、引き下がってしまったという。
大河内は、次のステップとして、理研(駒込)の敷地内に、陣頭指揮してプロトタイプ型の実験工場を作り、応用、実用化、製品化まで研究所の中で完結する仕組みを創り上げ、高橋が抽出に成功してからわずか半年間で、商品名「理研ヴィタミン」として売り出したのである。後に、大河内がはじめた、実験工場方式での製品化は、アルマイト、理研酒(合成清酒)、金属マグネシウムなど
の財団理研のヒット商品として、研究所の経営基盤を盤石なものとして発展させ、後年、「科学者の自由な楽園」、「栄光ある科学者たち」といった言葉まで生み出すまでに成長していったのである。
「理研ヴィタミン」は、虚弱体質であった当時の日本人の滋養強壮に効果のある栄養剤として売出され、研究所の周りは「理研ヴィタミン」を買い求める人で門前市を成す混雑ぶりだったという。開発者高橋克己は、その後、腸チフスに罹患し、32 歳の若さで他界、大河内は、「理研ヴィタミン」は理研の財政基盤を立て直した救世主であり、発明者高橋の遺族に対して、発明報酬金として9 年間(大正 11 年から昭和 4 年)にわたり、482,905 円(現在のお金に換算すると 8~9 億円)ほど支給したという記録が残っている。
(参考:「大河内正敏 人とその事業」(昭和 29 年 9 月 1 日 大河内記念会)より
「大河内先生と理研酒の工業化 加藤正二」)

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